愛はジャスト

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伊野尾くんはかっこいい ~伊ニャー慧に関する所感~

伊野尾くんはかわいい。これは紛れもない事実である。当初こそ、その黒船のように突如襲来した"かわいい"の衝撃にあてられ、寝ても覚めても「カワイイ…カワイイ…カワイイ…」と壊れたファービーのように呟いていたが、最近は恐ろしいことにそのかわいさにも慣れてしまい、"かわいい"を言葉にすることを怠りがちだった。テレビや雑誌で伊野尾くんを見かけるたびに"かわいい"とは思っていたし、目が伊野尾くんを捕らえてから脳がかわいいという言葉を弾き出すまでのスピードはもはや条件反射の域に達している。その精度たるや、時代が違えば"パブロフの犬"ではなく、"パブロフのポリアンナ"として世間に慣れ親しまれていたかもしれないほどだ。とにかく、伊野尾くんを見てかわいいと思わなかった日は1日も無い。これまでの怠慢を贖罪する意も込めて何度でも言おう、伊野尾くんはかわいい。伊野尾くんは、かわいいのだ。

さて話は変わるが、このところの伊野尾くんを取り巻く環境は新規目に見てもめっきり変わってきたように思える。めざましテレビのレギュラーにメレンゲのMC抜擢、二度目の単独表紙、更には映画の主演決定など、最近の彼の活躍ほどに"目覚ましい"という言葉が似つかわしい現象がこれまでにあっただろうか。私の生活レベルの話で恐縮だが、普段ならアラームが鳴ってからゆうに30分は掛かる目覚めまでの覚醒が伊野尾くん関連のニュースを見た朝はものの3秒でベッドを這いずり出たのち、葉っぱ隊スカウト待ったなしの軽快なステップでYATTA!YATTA!と小躍りするという奇行を繰り広げていた。読んで字の如く、ここ最近の伊野尾くんの活躍っぷりは"目覚ましい"のである。私が彼に出会った時点ではもう既に目覚ましいの「目」くらいまではその快進撃が進んでいたのかもしれないが、半年前と比べてもその差は歴然である。

たここ数か月の間に起きた俗にいう"伊野尾革命"の中でも、特にお茶の間に大きなインパクトを与えたのは「志村どうぶつ園」の伊ニャー慧のコーナーだろう。成人して既に5年も過ぎようとしている男性が猫耳カチューシャにつけしっぽ、そして手には肉球グローブを嵌め、極めつけには、な行をにゃ行に変換して喋るという、 "性癖ここに極まれり"と思わず賛辞を贈りたくなるほどの徹底したキャラ設定の下で始まったこのコーナーは、次回の放送で7回目を迎える。世紀の問題作・ペットショップラブモーションのプロデュースも自身で手掛けた伊野尾くんのことである。この程度の”かわいい”はへそで茶を沸かすようなものだろう。

そしてもう2月の話にはなるが、そんな彼がテレビ誌の猫グラビアなる企画ページに登場した。その見出しを見た当時の私はというと、上記したようにすっかり"かわいい"のゆとり教育モードに入っており、「猫グラビア?なんかよく分かんないけどいい感じにかわいい子猫と抜群にかわいい伊野尾くんが死ぬほどかわいい感じで紙面に収まってるんでしょ、ハイハイ。」と完全に余裕しゃくしゃくと高を括っていた。のであるが。おもむろに開いたそのページには私の想像を遙かに凌駕する猫グラビアが展開されていた。勝手に予想していたかわいい子猫なぞはどこにも登場せず、ただただ見開き2ページに渡って伊野尾慧もとい伊ニャー慧の惜しみない悩殺ショットとインタビューが載っていた。特に週刊テレビジョンの本気度は凄まじく、猫耳を付けた伊野尾くんがイケナイ夜のお店のパネルでしかお目見え出来ないような完膚なきまでのにゃんにゃんポーズで挑発的にカメラを見つめるアップショットに丸々1ページを割いていた。その芬々たる色めきたるや、誤ってプレイボーイの袋とじを開けてしまったのかと思ったほどだった。それは"猫グラビア"なんて生易しいものではなく、真の意味でのグラビアだった。

あまりの暴力的なかわいさに放心状態を起こしたのも束の間、例に漏れず瞬間的に"かわいい"の信号が脳に送られてきたが、その直後にふと思った。

「伊野尾くん、どんな気持ちでこれやってるんだろう。」

これまでも折に触れて書いてきたが、伊野尾くんはもう25歳の立派な成人男性である。本来ならかわいいと言われる時期はとうに過ぎており、本人もそのことについて「25にもなって可愛いと言われることについてどうリアクションすればいいのか分からない(笑)」や「(可愛いと)この年で言われることなんてあまりないからそう言って貰えるのはありがたい。」などと答えている。この空前絶後の"かわいい"待遇に、伊野尾くん自身も多かれ少なかれ戸惑っているように見える。

〜以下、スーパー邪推タイム〜

現在、伊野尾くんが事務所からかわいい路線で推されていることは火を見るよりも明らかだが、当の伊野尾くんは"かわいい”自分に対してあまり執着が無いように見える。かなり前のインタビューだが、「KAT-TUNはカッコいい曲が多くていいなと思っていた。」と発言していたり、私服は全身真っ黒、そして好むブランドはモード系男子御用達のLAD MUSICIANであったりと、彼自身はどちらかと言えば"かっこいい"寄りの趣味なのだと思う。伊野尾くんにとって"かわいい"とは仕事の範疇を越え出ぬものであり、私はそんな"かわいい"仕事をしている伊野尾くんを見て彼のファンになった。

しかし、テレビジョンに掲載された岩をも砕く破壊力のかわいさ爆発ショットを見せつけられた私は、これまでに感じたことのない種類の申し訳なさを覚えた。撮影前にメイクさんに「俺もう今年26になるんスけどねぇ(笑)」と冗談めかして笑ってみせたりしたのかな、とか、撮影後は真っ黒な私服を着てひとりスタジオを出たのかな、などページ外の出来事に思いを馳せると、途端に私の心の中に住まう某C原ジュニアがムクムクと湧いて出てきて「伊野尾くん、ホンマにごめんな…世間がかわいい伊野尾くんを求めてまうからこんな格好でこんなポーズせなアカンねんな…オタクがキモぉてホンマにごめんな…」としゃくりあげながら陳謝し始めるのだ。「かわいく生まれたら生まれたで大変だよ><」みたいな主張を耳にするたびに、「うるせぇ寝言は寝て言え。」と悪態をついてきた私であったが、初めてその論の正当性を思い知った。しかも男性(25)に教えられた。

このように、現在進行形で伊野尾くんの周りに吹き荒ぶ"かわいい"旋風は、彼にとっては想定外の追い風であったのかもしれないが、アイドルである自分を「仕事」と捉える傾向の強い伊野尾くんにとって、猫になりきることや他人から無尽蔵に"かわいい"という言葉を浴びせられることは、そこに本人の趣味趣向が介在していなくとも別段不快なことではないだろう。伊野尾くんは賢い人だから自分が今どういう立ち位置にいて何を求められており、どう振る舞うのが的確なのかを熟知しているはずだ。だからこそあのペットショップラブモーションも生まれたのだろう。私はそんな"かわいい"仕事をしている伊野尾くんを見てやらされている感を感じたことはないし、むしろ楽しんでやっているように見える。勿論実際に楽しんでいる部分も大きいのだろうけど、そう思わせてくれるのはひとえに伊野尾くんがプロだからである。

けれど、今伊野尾くんが請け負っている"かわいい"という商材は、どれだけ手塩にかけて育てても他のものより早くに死んでしまう。これまでたくさんの芸能人が「かわいい」と持て囃されたそのすぐ数年後に「劣化した」と手のひらを返される様をいやというほど目にしてきた。一度"かわいい"の土俵に乗ってしまった者はそうなったが最後、衆人環視のもとにボロボロになるまで蹂躙される運命にある。"かわいい"はゴム鞠のように容易く跳ね、ガラス玉のように儚く砕ける。

私は、この何よりも華やかで何よりも薄情な"かわいい"市場で身一つで戦う伊野尾くんを心の底からかっこいいと思う。今はスコールのように温かく大量に降る「かわいい」の雨も、やがては雹やあられと化して伊野尾くんを傷つけるかもしれない。「かわいいは正義」という言葉が我が物顔で世間を罷り通る現代において、ブサイクは悪であり老いは敗北だ。

優れた容姿を具えて生まれてきたごく一握りの人間がごく限られた期間にしか実行出来ない"かわいい"を理解し計画し、すぐに手のひらを返されるかもしれないリスクを背負ってなお、需要通りに供給する伊野尾くんはまさしくプロの仕事人だ。どんな職種の人だって、自らの仕事をやり切るその姿はおしなべてかっこいい。それはたとえこの「伊ニャー慧」のように"かわいい"に分類されるものであったとしても、芸人のように"面白い"であったとしても、はたまた"汚い"とされる仕事であったとしても、一流の成す仕事はあまねく誇り高くてかっこいいのだ。現実的に考えて年齢の問題もあるし、伊野尾くんが今と全く同質の"かわいい"を勤められるのもそう長くはないだろう。これは伊野尾くんだけに限った話ではなく、誰だっていつかは必ず"かわいい"を降りなければならない時期がやって来る。そんな移ろいやすくて一瞬のきらめきである"かわいい"を引き受ける覚悟を決めて腹を括った人間の顔は、どんな"かっこいい"ものよりも逞しくて美しく、そしてかっこいい。猫耳をヘルメットに、しっぽを剣に、肉球グローブを盾にして、とろけんばかりの笑顔で「にゃあ♡」と鳴く伊野尾くんは、世界で一番かわいくて、かっこいい。

伊野尾くん、たくさんのお仕事の決定本当におめでとうございます。